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Channel: 宵闇と月と夢
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人を信じるということ

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何か想定外の出来事が起きたとき、人は焦ったり、不安になったり、恐怖したり、混乱したり、
落ち込んだり、鬱になったり、興奮したり、
逆に、あえて明るく振舞おうとしたり、落ち着いて振舞おうとしたり、大丈夫大丈夫と、周りと自分に
言い聞かせたくなったりする。自分も含め、反応は実に人それぞれである。

そういう場合、何が最善かというのは相対的なものであるので、ここでは個々の場合は述べない。
わたし個人的には、周りに焦ったり、怖がったりしている人がいると、逆に落ち着ける場合が多いので、
わたしの代わりに焦ってくれて、怖がってくれてありがとう、と思う。

ただ、問題なのは、不安を抱えた人が、それと知らずに、不安を不満に変え、不満をストレスに変え、
ストレスが噴出して誰か他者への攻撃に向くことがあるということである。
その結果、本当は相手の事情なんてよく知りもせずに、お前が悪いと言ってみたり、
揚げ足を取ったり、見下したり、馬鹿にして笑ったり、皮肉ったり、詰ったり、非難したりする。

そういうわたしも、攻撃される側の事情も知らなければ、攻撃する側の事情だって、知らない。
知らないけれど、もしかしたら不安が、恐怖が、またそれらからくるストレスが、
させたことかもしれないな、と思う。
人はそんなに強くないから。

だからわたしは、想定外の出来事に遭遇して、機敏に効果的な対処ができない上に立つ人を許すし、
起きた出来事に関して多少なりとも責任があったはずだけれど責任を取れない人も許すし、
他人のことまで思いやれずに自己中心的な行動に走ってしまう人も許す
(たとえ、それらの行為自体には怒りを覚えたとしても)し、
そういう人を見て攻撃したり非難したり馬鹿にしたり揚げ足を取ったりする人も許すし、
更にそういう人たちを見て許すとか言っている自分のことをも許す。

そして、ほんの少しでも心に余裕が出てきたら、そんな人たちにも許して欲しいな、と思う。
まずは真っ先に自分のことを。不安な自分を、不安で苛立つ自分を、
恐怖を覚えた自分を、混乱した自分を、落ち込んだ自分を、受け入れ、許して欲しいと思う。



以前、ほかのかたのブログで、
「人はストレスが溜まったとき、怒ったとき、欲求が満たされないとき、その本性が出るのか」
というようなことが取り上げられていたのを目にしたことがある。
わたしはそのとき、色々と考えてみた結果、その人のストレスが溜まったときに出るのは、文字通り、
その人のストレスが溜まったときのその人、だと思ったし、そう思いたいと思った。
そして自分は、そういう状況でも人に対する思いやりを忘れないでいたい、と思った。

たまに、怒らせるとその人の本性が分かる、などと言う人もいるけれど、
仮に怒らせてみた結果、幻滅するような結果が実際に現れたとしても、
もしかしたらわざと怒らせられようとしていることに気付いたその人が、
「わざと怒らせようとしていること、そのこと自体」に対してうんざりしたり、
馬鹿にされたように感じたりして、その人のほうこそわざと、そのように、
幻滅されるよう行動した場合だってあると思う。
(人は試すとき、同時に自分もまた試されているのだということに気付きにくいのではないか。)

人を最初から信頼しないで、きっとあの人は失敗する。実際、失敗した。ほら、ね。とか、
そういうのっていやらしいし、人を信頼できる人ならば、最初から誰かを試したりしないものだ。
でももしかしたら、人を試すような人は、かつて誰かに裏切られた経験があって、
また再び、裏切られるのが怖くて、慎重になっているのかもしれない。
(だからわたしは、人を試す人も許す。)

人の、嫌な面に自分が気付いてしまったとき、きっと本当は、そうではないのだ、と思う。
本当のその人は、そういう人ではないのだ、と思う。
人はそんなに強くないのだから。

人が間違わないことを信じる、攻撃的にならないことを信じる、悪意を持って行動しないことを信じる、
良心に従って行動していることを信じる、いつも思いやりを持てることを信じる、のではなくて、
人は間違うし、攻撃的になることもあるし、悪意を持つこともあるし、道を踏み外すこともある、
思いやりを忘れ、お互いに不信感を募らせ、互いに幻滅し合うこともあるけれど、
それが人間の本当の姿ではない、ということを信じる。

人は過ちを繰り返す。きっと、それは、これから先も、ずっと、変わらないと思う。
(ある程度の年齢であれば、)一度の失敗もしたことの無い人はいない。
けれど、過ちを犯しても、過ちを過ちと認めれば、必ず立ち直れる、
風景も色も人も人間関係も、元の通りには修復出来なくても、必ず未来に生かせると信じる。
それが、人を信じるということではないだろうか。

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